名古屋城の天守閣の石垣を築造したのは加藤清正というのは良く知られていますが、実際に築造したのは家臣達です。清正は家臣の名前を石垣に刻み後世に名を残させています。これは天守閣の石垣南西隅、西面に刻まれています。肉眼ではほとんどわかりません。撮影は例の超望遠500mmで撮影し、Photoshop Elements 10で明るさ、コントラストを調整してあります。拡大して見ていただきますと中川と確認できます。さすが清正、家臣への配慮はさすが名将であります。
この石垣は天守閣北東隅、北面にあります。ここは肉眼でも確認できますし、下の立札が立っていますので分ります。「加藤肥後内小代下総」と刻名されています。
加藤清正の名将としての一端を見ることができました。
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